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ルネ・カントンについて

偉大なるルネッサンス・マン 天才「ルネ・カントン」
生命の起源は海水である

ルネ・カントン

医師、生物学者、哲学者、戦争の英雄、生理学者、航空機の先駆者「ルネ・カントン」はこれら全ての分野で卓越した業績を残しました。

ルネ・カントンは1866年、フランスのセーヌ・エ・マルヌ県のショーム・アン・ブリで生まれ、1925年の7月にパリにて58歳で亡くなりました。彼は20世紀最大の発見の一つを支えた人物なのです。彼は何千人もの病人を救いました。

彼のお葬式には100万人を越える参列者がありました。葬儀には当時の首相、政治家、文化人、軍人、そしてルネ医師の死を悲しむ多くの子供の命を救ってもらった母親や患者の姿がありました。この驚くべき参列者の数こそルネが重大な影響を与える大切な偉人であったかを物語る事が出来ます。

この学者は生まれながらに好奇心旺盛で、文学に非常に興味があり、医師の息子で、あらゆる分野において優秀でした。彼は医学や職業教育の教員となる代わりに芸術の道を選ぶことによって父親の影響から自身を開放することができました。さまざまな知識を追い求める過程で、彼はフローベールのように博物館で解剖学、生物学、古生物学を学び始めました。哲学を学び始め、戦争について著作しました。1908年には、Ligue nationale aérienneと呼ばれる最初のパイロットの学校を設立し、航空技術の発展に貢献しました。48歳のときには、第一次世界大戦での戦いに全身全霊を捧げ、中佐となりました。

生物学者としては、海洋生物学における功績により世界中で有名になりました。彼の情熱は留まるところを知りませんでした。

1904年には、彼の代表作である『L’Eau de mer, milieu organique(海水、有機媒体)』を発表しました。この研究は、塩分の高いハイパートニックそしてアイソトニック溶液の両方について、皮下・皮内注射、経口投与した際の、海水の確かな効能を示すものでした。

Quintonアイソトニック溶液は、私たちの血液、涙、あるいはヒトの他の分泌液と同じ塩分濃度でした。ハイパートニックとアイソトニックの中間の塩分濃度を持つ海水、キントンのDuplaseを使用したアイソトニック静脈内投与についての記述もあります。

1897年に、フランス大学のラボでルネ・カントンは人類の起源に関する研究を開始しました。この研究は、ルネ・カントンが最初の生きた細胞が海水の中で現れたという仮説を立てるのに役立ちました。

ルネ・カントンは1905年に医学のためにルネ・カントン研究所を設立しました。重要な業績に、1904年の「Eau de Mer, Milieu Organique(海水、有機媒体)」の出版があります。この本は、有名な「ルネ・カントン・プラズマ」の市販を1905年から開始したルネ・カントン研究所の設立とほぼ同時に出版されました。当時、ルネ・カントンの海水療法による治療はまたたく間に広まりパリの全区、フランスの他の地域、他の国々(英国、ベルギー、エジプト、アメリカなど)に診療所が開設されました。ルネ・カントンは1921年にジーン・ジャリコ博士の指導のもと、小児科でのルネ・カントン・プラズマ使用について実証済みの臨床結果(現在でも実験レベルでは疑問の余地がない)を記述する「Le Dispensaire Marin(海洋診療所)」を出版しました。
ルネ・カントン協会は、この優れた研究者の名声を法的に守るためにパリで1960年に設立されました。2010年には現キントン・ラボラトリー会長フランシスコ・コール氏をパトロンとしてジョアン ・ ミケル ・コ-ル氏により海水療法の普及と海洋生物や海水に関する研究と調査を目的とした非営利団体ルネ・カントン財団が設立されました。ルネ・カントンの存在は一時は消えかかった灯火とも思えた時代を経て、現代へと受け継がれ今鮮やかに蘇っています。真実は淘汰される事は無いのです。

生命の起源である海

ルネ・カントンは、生命の起源は44°Cの海中であると考えました。このため、あらゆる種が誕生するときの体温は海のそれと同じであるということになります。面白いことに、熱源に近づくと感じられる熱痛は44.5°Cで始まります。

ルネ・カントンは生命の起源について2つの主要な事実を確立しました。細胞という形での動物の生命は海で現れたこと、そしてあらゆる生命体を作る細胞は海洋環境において維持されるということです。しかしながら、これは常に正しかった訳ではなく、この環境で生きることができなかったものは絶滅しました。

すべての動物という有機体は、まさに海の水槽であり、その中ですべての細胞が生き続けているのです。このことから、海があらゆる種類の動物の起源であることは明白です。事実、動物を含むあらゆる生物は、海洋生物から派生しています。最初の有機体に命を吹き込んだ始原細胞は明らかに海洋の細胞です。最終的な生命体が存在するようになったのは、44°Cを原点とした温度の下であることを忘れてはなりません。つまりこの温度によって、あらゆる種が地球上に誕生したのです。

ルネ・カントンの犬の実験

生命の起源である海

ルネは体液と同じ浸透圧まで薄めた海水が体液と同等のものになることを証明するためには実験を行いました。今の様にビデオ録画やインターネットが無い時代です。それは民衆を集めて行うという「公開実験」という勇気あるものでした。1897年にコレージュ・ド・フランスのマレ教授の研究室で実施されました

これが有名な「ルネ・カントンの犬」の実験です。初期の最初の実験はイヌの血液を瀉血法で全部抜き取るというもので、体重10kgのイヌに体重の104%の海水10.4リットルを8時間にわたって静脈内投与しましたが、特に問題は起こりませんでした。腎臓排泄機能は申し分ありませんでした。

別のイヌでは大腿動脈から血液を全部抜き取りました。実験動物は瀕死の状態で、角膜反射は見られませんでした。海水を11分間注入すると反射が見られるようになり、イヌは意識を取り戻し、立ち上がり、翌日には研究所を歩き周りました。このイヌは「ソディウム(ナトリウム)」と名付けられ、5年後に路面電車に轢かれるまで生き延びました。つまり、この犬は海水療法の効果を存分に全うした人生を送ったということの証

1887年から1904年までの間に、ルネ・カントンは、他の教授、著明な臨床指導者、若い熱心な医療従事者とともにその海洋治療を実施し、観察結果を収集し、治療法を前進させました。ルネ・カントンは、絶望的な患者を治療する許可を得てパリの病院で治療を始めました。その中には、当時の医学的判断によれば死ぬ運命にあった末期昏睡状態の発疹チフス患者や、シュウ酸中毒患者、梅毒患者、肝硬変患者、分娩後出血で出産中に死にかけていた若い女性などがいました。

当時ルネ・カントン・プラズマと呼ばれていたこの等浸透圧の海水療法では、奇跡を起こしたと思われました。多くの場面で、死にかけていた患者が一命をとりとめました。

この一連の実験の結論を下すために、ルネ・カントンは、その脆弱性から人工の「生命」環境では活かしておくのが難しかった白血球の試験を始めました。ルネ・カントンはこの試験を、魚、両生類、爬虫類、哺乳類、鳥類といった全生物種に拡大しました。どの場合も、海洋液に浸した白血球は、正常の生命のあらゆる兆候を示し続けました。最近の研究で、アリカンテ大学講師・生命工学部教授ホゼ・ミゲル・センペレ博士が「白血球はキントン・アイソトニック液内で長く保存されることを確信しており、現在のところ確実に96時間以上保存できることを確認した」と結論づけました。